まだまだ百人一首


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 お正月にちなんで、百人一首の話です。七百年以上も前に成立してから、百人一首が変わらず愛され続けてきた理由は何だと思われますか。

 思うに、私たちは日々喜んだり、悲しんだり、さまざまな喜怒哀楽を抱えて生活しています。けれども、それらは日常の忙しさにとり紛れ、時間の経つうちに消え去ってしまうものです。

 百人一首の和歌は、そうした心の表情を私たちに代わって、あたかも写真でも撮るかのように鮮明に焼き付けてくれているように思えるのです。

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天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも (阿倍仲麻呂)

 当時とは時代状況が違いますし、中国の地で2度と戻れない故郷の月を思うという経験は、今でもなかなかできないでしょう。

 しかし、独り暮らしをして都会の大学に通っているおり、何かのきっかけで故郷をありありと懐かしむという経験をした人はきっといるはずです。

 千年前の和歌の名手たちが詠んだ心情は、おそらく基本的には私たちの心の表情と何ら変わるものではないのです。

 ただし、百人一首に詠まれている情景は千差万別なので、学校で意味を教わったからといって、どれもこれもすぐに心底共感できるというわけにはいきません。

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花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに (小野小町)

 長雨を見ながらぼんやりと物思いにふけるうち、時は過ぎ去り私の美しさも色褪せてしまった、そう語る作者の気持ちを本当に理解するには、やはりそれ相応の年齢に達しなければなりません。

 ですから、自分が共感できる歌というものは、経験を積み重ねるにつれ、少しずつ増えていくものなのだと思います。百人一首はいわば人生の荒波にどれだけ揉まれてきたかの到達指標になると言ってもよいでしょう。

 ところで、百人一首の歌をテーマ別に数えると、1位が恋に関する歌43首で、2位の季節に関する歌32首を引き離しているそうです。

 ということは、恋を知らずして百人一首をすべて理解しようとするのは難しいことなのかもしれませんね。

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逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり (権中納言敦忠)

 あなたと逢瀬を重ねるようになってからは会いたさがこれまで以上に募ってくる、昔会いたいと思っていたころは、会いたいという気持ちが本当はどういうものなのかまるでわかっていなかった、と詠む歌です。

 いったん恋仲になれば落ち着きを取り戻せるかと思いきや、心のざわめきはこれまで以上にとどまるところを知らない、こんな気持ちは、実際に恋に落ちないとなかなか味わうことができないように思います。

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由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな(曽禰好忠)


 櫂をなくした船が波間を漂うように、私の恋の行方もわからないと詠む歌です。

 いまだ片思いの恋の行き先を心配しているのでしょうか、それともすでに成就した恋の行く末を懸念しているのでしょうか、もしも後者ならば何やら危険な香りのする恋が絡んでいるかもしれません。

 百首中43首が恋の歌であるということは、乱暴な言い方をすれば、人生の喜怒哀楽の43%は恋に関わるということでしょう。恋をしなければ、心の機微の半分近くを経験しないまま一生を終えてしまうことになりかねません。

 皆さんはしっかりと恋をされているでしょうか。
あさのは便り::雑感 | 10:26 PM | comments (x) | trackback (x)

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