文明の過剰


あさのは塾ブログ

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 『更級日記』は11世紀半ば、菅原道真の血を引く菅原孝標(たかすえ)の娘の作品です(名前は不詳)。

 そのなかに、13才のころ京の都にたくさんの物語があると聞いて、もう読みたくて仕方がない、自分で仏像まで彫ってどうか上京できますようにと祈る場面が出てきます。

 やがて彼女は念願の物語に触れることができるのですが、彼女の願掛けの真剣さ、物語と巡り会えたときの喜びの気持ちは、今の私たちにはとても知り得ないものでしょう。

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 『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画には、テレビがまだ珍しかった昭和30年代、近所の家にたくさんの人が集まって一緒にテレビを見るシーンがありました。

 このときのみんなの笑顔が半端ではありません。テレビというのは明るい未来の象徴であり、私たちの暮らしに変化と活気を与えてくれるものだったようです。

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 しかし、いつの頃からかテレビは当たり前のように部屋に居座って、バラエティやワイドショーで私たちの時間を埋め尽くすようになりました。

 それはそれで楽しみを与えてくれるものですが、かつて人々が熱心に見つめていたテレビと比べると、今は何かが変節してしまったという気がします。

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 動画配信サービスというものも増えてきて、契約すれば自由にドラマや映画を見られるようになりました。

 夥しい動画があってつい深入りすることもしばしばですが、見ているうちにうっかり一生が終わりかねないぞと気づいてはっと我に返ることもある。

 文明の恩恵とはありがたいものですが、それには度し難い過剰さとでもいうべき副産物があるようです。私たちは気づかないうちにそれに溺れかけています。

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 いくら通販サイトが便利だからといっても、いつも当日や翌日に配達してくれなくてもかまわないし、コンビニのお弁当だって廃棄するほど過剰生産する必要はないでしょう。

 高度に発達した消費社会で暮らせるのは幸せなことですが、その論理にはどこか私たちの自然な感情とずれたところがある。なのにそれが当然であるかのごとく恩恵の提供者は居丈高に振る舞うのです。

 この文明の過剰さに呑み込まれず、何が本当に必要か見極めたいと思う今日この頃です。
あさのは塾便り::本・映画など | 07:27 AM | comments (x) | trackback (x)

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