平敦盛 (たいらのあつもり)


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 時は平安時代末期、権力を掌握していた平氏に対し、1180年に源頼朝、義仲らが挙兵、次々と勝利を収め、ついに義仲が京都へ攻め込むに及んで、平氏は都落ちして西国へと逃れます。

 1184年、平氏と源氏は一ノ谷(今の神戸)に陣を構えて対峙します。この戦いで活躍したのが源義経です。彼は鵯越(ひよどりごえ)の山道を抜け、精鋭七十騎で急な断崖を駆け下り(いわゆる「逆落とし」)、背後から奇襲をかけて、平氏に大勝するのです。

 さて、合戦も終わりに近づき、源氏の武将、熊谷直実(くまがいなおざね)が渚に馬を進めていると、立派な出で立ちの平家の公達が馬を海に乗り入れ、沖合の船をめざしているのが目に入りました。
 「勝負されよ」 直実が大声で呼びかけると、その武者は逃げることもなく引き返してきて、二人は馬上で組み合いになります。そのままどうと地面に落ち、直実が持ち前の大力で相手を組み伏せ兜を押し上げてみると、相手はまだあどけない息子ほどの年齢の美少年でした。

 「名乗られよ」と言っても、「あなたにとっては良い手柄になるはずだ。首をはねよ」としか答えない。この臆することのない若者の姿を見るうち、自分が息子を思う気持ちが重ね合わせになってくる。

 見逃して助けてやろうとも思ったが、後ろを見れば味方の兵が続々駆けて来るので、もはや逃がすこともかなわない。同じ助けられぬなら、直実が直接手にかけて後々供養つかまつると言うと、若武者はなおも「かまわない。早く首をはねよ」と言うのです。

 泣く泣く首をはねた直実は、若者の腰に笛が差してあるのに気づきます。さては夜明け方、城内で朗々と響いていた曲はこの若者が奏でていたのかと知り、この出来事をきっかけに直実は出家を決意するのでした。

 この若武者こそ「無冠の太夫」と呼ばれ笛の名手と謳われた平敦盛です。生年十七歳、数え年ですから、今でいうなら高校一年ほど。腰に差していたのは、平家物語の記述によれば「小枝(さえだ)」という由緒ある笛でした。まだ戦が絶えなかった時代の話です。
あさのは便り::雑感 | 11:05 PM | comments (x) | trackback (x)

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