縄文時代と子どもたち


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▼先日、テレビで青森県の三内(さんない)丸山遺跡を紹介していました。三内丸山遺跡は、今から約5500~4000年前の縄文時代の遺跡です。
 ここ20年ほどの調査で、予想以上に大規模な集落であったことがわかり、夥しい土器類も出土しました。

▼当時は、狩猟・採集中心の生活ですが、植物の栽培跡も見つかり、集落の周りにはたくさんの栗の木が植えられていました。
 本格的な農耕が始まる前から、多数の人々が一カ所に定住し、数千年にもわたって共同生活した事例は、世界史においても類を見ないそうです。
▼日本列島は1万年前に大陸と切り離され、氷河期が終わってからは、おおむね豊かな自然に恵まれました。
 大陸のように北から異民族が襲来して、国土が荒廃することもなかったので、そうした恵まれた環境が今日の日本人の性格を形作ってきたのでしょう。

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▼当然のことながら、その頃は、子どもたちを苦しめる勉強も受験もありません。
 では、のんびり遊んで暮らせたのかといえば、そんなことはなく、彼らもまた大人たちに混じって、毎日食料調達に追われていたことだろうと思います。

▼そもそも、学者の推計によれば、当時15歳まで生きられる人間は半数にも満たず、それ以上生きた人々だけで計算しても、平均寿命は31歳ほどだったろうとのことです。

▼自然や世界は混沌として、人間は目に見えないものに怯え、手探りしながら生きていたことでしょう。
 嵐が来たり大雨が続いたりしても、熱帯低気圧とか停滞前線なんて知らないわけです。病気になっても原因はわからない。藁をもつかむ気持ちで、祈ったりまじないを施したりしていたはずです。

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▼自然との葛藤の中で、そのあり方を理解し、少しでも生きながらえて幸せに暮らしたいという気持ちが、学問や科学を発達させ、今日の文明を築きあげてきました。
 子どもたちが勉強に辟易しながら、それでも勉強を続けなければならないのは、人間の根源的な宿命が、形を変えて現れているともいえます。

▼鹿を追いかけて、原野を走り回っていた方が、自分には向いていたのにと、ぼやく方もいるかもしれません。でも、もはや後戻りはできない道なのです…。
あさのは便り::雑感 | 07:05 PM | comments (x) | trackback (x)

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